年末年始はお休みしていましたが、再スタートします。
日本でビールが飲まれるようになったのは明治に入ってからと考えると、たかだか160年くらいの歴史です。 ところが人類とビールとの付き合いは、5,000年とも言われています。気の遠くなる話しですね。あ、ここで書いている内容は、びあけん公式テキストを参考にしています。その古代のあたりです。最初にアルコール飲料?を飲んだ人類はどんなふうに感じたんでしょうか。考古学でビールのことはどれだけ注目されてるんでしょうかね。 あ、スタンフォード大学で、古代のビールを再現しようという試みをしたそうです。動画も公開されていますが、なんか飲んでる学生や先生の顔が微妙な感じですよね。。
北メソポタミアの山腹地帯で定住農耕が始まったのが紀元前7,000年あたりで、エンメル小麦、一粒系小麦、二条大麦の3種類が遺跡から見つかっているそうです。
紀元前3,000年頃のメソポタミアのシュメール人が残した「モニュマン・ブルー」(醸造の記念碑)というのが、今のところビールに関する最古の記録(粘土板にくさび型文字)だそうです。→あー、これ大ウソかもしれません。もうちょっと調べて書き直します!! それで、このころビールらしきものが作られていたようですが、作り方は現代とは異なっていたらしく、その記録によれば、最初麦芽を作った後に、その麦芽を粉にしちゃって、その粉でパンを焼く。これを「バッピル」(ビールブレッド)と呼んでいました。そのバッピルを粉々にして水と混ぜて、固形物を取り除き、その液体を放置して、ランビックのように自然酵母で発酵させてビールができる、と。小麦を粉にするんじゃなくて、麦芽にしてから粉にしてるところがミソですね。で、このビールらしきものは「シカル」と呼ばれていたそうです。まだ、ホップは登場していなかったようですね。
麦芽パンを焼いていたのは、食料にしていたのだと思いますが、それをどんな経緯かわからないが、粉にして水に浸していたら、お酒らしきものができた、という発見があったんだろうと推測します。
紀元前1,750年頃のバビロニアで作られたハムラビ法典には、ビールに関する条文が記されているそうです。このころには、ビアホール?らしきものがあったようで、つぼに入ったビールをストロー状のものを使って吸って飲んでいたような粘土板に彫られた絵が残っています。
「目には目を、歯には歯を」で有名なハムラビ法典にはビールに関する条文(4つ?)が記録されているようで、その内容が怖い。。
「酒代は麦で受け取ること。銀で受け取ったり、酒を少なく注いだり薄めたりしたら水責め」「尼僧が酒場に飲みに行ったり、経営したりしたら火あぶり」 おー、こわ~。
今回はここまで。